-これは、日本の戦国時代ではあるものの、我々のいる時空とは異なる次元の架空の物語である-
胡音句賭(こねくと)歴25年、この国の中央部である関東ならびに中部においては、大国同士による激しい争いが続いていた。その騒乱の中心にいるのは、関東に盤踞する「獲怒(えぬ)家」であった。
もともとは古き良き家であったが、下剋上で家臣から成りあがった輪多出雲守が跡をついでからは、傭兵を駆使した巧みな戦術で勢力を急激に伸ばしていった。但し、占領した土地に一時的に徳政令を布くが、数カ月もしないうちに重税を課すなど、そのやり口は領民や他家からも怨嗟の声が上がっている。
獲怒家は、「革張(かわはり)家」「阿須久(あすく)家」と不戦協定を結び、背後の憂いを無くしたうえで東海の雄である「突海(とつうみ)家」への侵攻作戦をもくろみ、武蔵国に大規模な要塞を築いて橋頭保としたが、突海家ならびに地場の有力国人衆の激しい抵抗に合い、苦戦を余儀なくされている。そこで進路を変え、信州に彼らの最強傭兵部隊「恩婦羅」を送り込み、飛び地の拡大へと方向転換を図りはじめた。
その獲怒家に真っ向から勝負を挑んでいるのが「湾(わん)家」である。湾家は現在、国内各地の国人衆を勢力圏内に引き入れ、勢力拡大を図る一方、海外にも既に数ヵ国に進出するなど、拡大路線に邁進中である。現在、仇敵であった突海家とは不戦協定を結び、西の「投峰家」と対峙、徹底抗戦の構えを見せている。
また、駿河国の「錫(すず)家」は最凶傭兵集団「自巣手(じすて)」を甲斐に送り込み、周辺地侍を掃討して焼野原と化し、信州への進出を伺っている。錫家はかつて紳士的な家風で名が通っていたが、自巣手の暗躍がその名を地に貶めさせてしまった。
そして、現在-

胡音句賭歴25年6月
◆「投峰(とうみね)家」と「皿(さら)家」が同盟締結か
投峰家、皿家が互いの前線基地を使い合うという協定を締結した模様。

伸張著しい「孤無(こむ)家」の攻勢に悩まされる皿家が、投峰家と組み、孤無家の背後を襲わせる算段か。
