よく一緒に行った店の女将を通じてでした。数カ月前に「会いたいの~」と電話で言って頂き、昨日、愛媛県の新居浜まで会いに行ってきました。実は定年で退職されたあと、私が石油会社の関西支店にいた時に偶然近くで仕事があり、14年前に一度ご自宅にお伺いしていたのですが、新居浜でお会いするのは実に20年ぶり。
「あの頃が一番楽しかったな」と三並さん。私にとってもあの時代は「サラリーマンの青春時代」であり、最も熱かった時であり、人生で大切な人たちに出会えた4年間でした。携帯電話に貼られる液晶フィルムの需要が急増、フィルムを納めていた住友化学の新居浜工場に、月に2度は通っていたんです。最初の三並さんとの出会いが強烈で忘れられません。
あんた、こんなとこおらんでさっさと帰って納入調整せなあかんぞ
着任して3カ月で大事な納入調整をやって来いと言われ、「失礼します!」と緊張しながら入った会議室で、一人、背中を見せながら煙草をふかし、事前にお送りした資料を見て一喝、「話にならんわ、これ」。―すぐ長野県の辰野に向かいまして、幾度となく工場長以下と話し合い、喧嘩もし、ようやく熱意が通じてか、24時間の量産シフトを敷いてくれて間に合ったんです、納期に。
「三並さん、納められなかったら会社、辞める覚悟でした」―そんな私にこう言われました。「境野さん、それ、責任取る言わんのよ。責任取るいうんは、モノを納めること。これしかないんじゃ。あんたは今回、工場を動かしてモノをキッチリ納めることができた。これが責任を果たしたいうことなんよねえ」。頭をトンカチで殴られたような衝撃を受けました。
それから、飲みに連れていってくれるようになりまして。「ワシは業者とは飲まん。じゃけんど、あんたは特別じゃ」と言って頂いて。電話で久しぶりに話した時も、「独立して会社を作りました」とお伝えしたら、「さすがワシが見込んだ男じゃ、涙が出てきたわ」と言って頂きまして・・。
あれから20年、相変わらずお元気な様子の人生の師匠に会えて、本当に来てよかった。三並さん、人生の中でお会いして頂いて本当に有難うございます。私が今あるのはあなたのお陰です。



